日本PTA全国協議会

第1章 PTAの誕生と発展

第1節 PTAの誕生

占領軍によるPTA活動の啓蒙

(1)第 1 次米国教育使節団報告
日本の PTA は、米国教育使節団報告書から始まった。アメリカは、日本社会の徹底した民主化を図るため、戦後いち早く教育専門家を派遣し、その基盤となって社会を支えてきた教育について抜本的な改革を進めようとした。
使節団は、昭和 21 年(1946 年)3 月に来日し、早くも 4 月 7 日に報告書を発表したが、この中で、PTA に関し次のようにふれている。

文部省によるPTA設置の推奨

GHQ は、昭和 21 年(1946)秋(10 月頃か)、文部省社会教育局にアメリカの PTA 資料を提示し、日本における PTA の結成を指導した。これを受けて、昭和 21 年(1946)10 月 19 日、文部省内に「父母と先生の会委員会」が設置された。「『父母と先生の会』の健全なる発達を促進する方法を研究審議し、その運営活動に必要なる参考資料を作成する」ことを目的と(委員会規約1条)に、父母、教育者、学識経験者及び文部省職員 25 人でもって組織された。また、文部省ではこの調査審議に並行して、関係者に対し、PTA の設置奨励を始めることになった。

第2節 PTAの普及

急速な組織化の進展

CIE、文部省、地方軍政部、地方社会教育担当者などによる PTA 設立の勧奨活動により、各地域で PTA設立の気運が高まり、一気に組織化が図られるようになっていった。
文部省の「父母と先生の会委員会」による「PTA 結成の手引き」が公表されてから 1 年後の昭和 23年(1948)4 月には、全国の PTA 設置状況は小・中学校とも早くも 7 割近くに達しており、制度発足が遅れた高校でも 4 割を超える状況となっている。

全国組織への発展

全国の学校にあまねく PTA が組織されるようになるとそれぞれの地域ごとの連合組織、さらに全国の統一的組織の結成が意識されるようになった。
昭和 23 年(1948)1 月に、東京都私立中等学校父兄会連合会が明治大学で「日本 PTA 結成促進準備委員会」を開催した。
全国レベルでの一体的組織の結成を企図したものであった。

全国団体の組織化

昭和 25 年(1950)に入ると、文部省は全国組織の結成を積極的に指導するようになる。
2 月、神田の共立女子大学において、全国組織結成に向けて、文部省主催の第 1 回全国 PTA 研究協議会が開催された。
全国及び、地方別の PTA 連絡組織の結成に関して研究協議がなされた。

第3節 PTA運動の主要課題

教育制度・条件の整備充実

この当時の PTA の活動は、戦後の学校関連諸制度の整備充実への要求が大きな活動の柱だった。
学校給食の制度化、2部授業の撤廃、校舎の増築、青年学級の創立、教科書無償配布、学校保健の実施など、文部行政に対して保護者の立場からの要望をまとめて要請するとともに、それを受けた文部行政の施策の実施に向けて、財政当局への要請活動を精力的に行うというものであった。
戦後の教育制度、教育の条件の整備充実に多く貢献を果たしたものといえる。

協議会の組織活動

昭和28年(1948)12月、機関誌「日本PTA」が創刊された。当時の記事では、地方の活動紹介、米国PTA関連記事、両親教育などが多く載せられている。選挙に関連して、各政党の教育関連公約一覧などが載っているのも注目される。以降、全国の会員、各学校 PTA と日本 PTA 全国協議会をつなぐ重要な機能を果たし続けることになる。年 6 回、奇数月に隔月で発行している。

PTAに対する行政体制の整備

昭和 24 年(1949)5 月、文部省では「父母と先生の会委員会」の委員を改選するとともに、八つの部会を設置して、審議することとした。

日米関係者の相互交流

初期においては、日本のPTA関係者が、お手本になったアメリカのPTAの実際を学ぶために渡米し、また、アメリカの PTA 関係者は日本の PTA 関係者に助言のために来日することが盛んであった。
昭和 25 年は、4 月に文部省の視学官 2 人が米 PTA 視察のために渡米し、7 月には米国全国 PTA 協議会長ジョーン・ヘイズ女史が我が国 PTA の視察・指導のために来日している。

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